ホテルからバスを使ってピカソ美術館へ
サンタ・エウラリア大聖堂(通称ラ・セウ)を横目に
ホテルで朝ご飯を食べてからピカソ美術館へと出発します。美術館へはバスを利用して行きました。
最寄りのバス停で降りると、サンタ・エウラリア大聖堂が見えました。この大聖堂は、通称「ラ・セウ」と呼ばれ、バルセロナ市民にとってシンボルとして親しまれています。
このあたりの街並みは、他のエリアに比べて背の高い建物が多いように感じました。
ピカソ美術館は細い道を入ったところ
しかし、ピカソ美術館へ向かう道に入ると、一転してとても狭い道が続き、中世の雰囲気が漂う旧市街の通りが広がっています。
ピカソ美術館でピカソの絵の変遷を観る
バックパックは預ける&音声ガイドの受取
それでは、ピカソ美術館に入場します。ピカソ美術館の建物は、中世の邸宅を改装して使用しています。開館したのは1963年(昭和38年)、ピカソが82歳の時です。
ピカソ自身も美術館の計画に関わりました。しかし、ピカソは独裁政権下のスペインでフランコ将軍に反対する姿勢を示しており、そのためスペインに入国することはありませんでした。
それでは中に入りましょう。
ピカソ美術館の入場券は、事前にインターネットで予約しておきました。予約したチケットはスマホに表示すれば、そのまま入り口から入れます。
ただし、バックパックは持ち込めないため、少し離れたクロークに預ける必要があります。また、音声ガイドの端末もクロークの隣のカウンターで受け取れるので、そちらへ立ち寄りましょう。
ピカソ少年時代の絵
展示はピカソの少年時代の作品から始まります。ピカソの人生において、スペインで過ごした時間はフランスで過ごした時間に比べると長くはありません。
しかし、ピカソは14歳の頃にバルセロナへ引っ越し、そこで画家としての人生をスタートさせました。その頃の作品が多く所蔵されているのが、このピカソ美術館の特徴です。
絵画教師であった父、ドン・ホセ・ルイス・ブラスコを描いた肖像画が、「ベレー帽の男」です。
ピカソという名前を聞いて思い浮かべる作風とは全く異なり、伝統的な肖像画となっています。にしても、上手すぎる……!
そして、こちらがバルセロナの美術工芸展に出品され、画家としてのデビュー作となった「初聖体拝領(はつせいたいはいりょう)」です。
14歳の頃に描き、発表されたのは彼が15歳の時の1896年でした。
伝統的な宗教的場面がモチーフです。絵画の構図や細部の技法などあらゆる面が模範的な作品として完成されており、少年だったピカソがすでに熟練した技術を持っていたことが伺えます。
この作品を目の前にした時、とても神聖なものを感じて、思わず少し涙がこぼれてしまいました(笑)
青の時代
10代半ばで、すでに古典的な絵画技法をすべて掌握していたピカソ。その後、時代によって全く異なるスタイルで、絵画やその他の芸術作品を発表し続け、1973年に91歳で亡くなるまでその創作活動を続けました。
ピカソの画風の変化は、それぞれ「〇〇の時代」と呼ばれて区分されていますが、厳密な区切りがあるわけではありません。ただ、わかりやすいため本記事でもこの区分を利用します。
19歳(1900年頃)から見られるのが「青の時代」です。この頃の作品は、その名の通り、画面全体が青い色彩で埋め尽くされています。
青の時代の始まり頃の作品とされる「ボネットをかぶった女性」です。
この作品は、ゴーギャンの影響を強く受けたと言われています。この時期には、社会から疎外されたような人々が多く登場しています。
そして、こちらが「静物画」です。
ピカソがパリに移った初期に描かれた作品です。この静物画のスタイルはセザンヌの影響を受けたとされていますが、面が青いトーンで塗られていることが特徴的です。
これらの作品に見られるように、青の時代において、ピカソはさまざまな名作の要素を取り入れつつ、自らのスタイルを模索していた時期でもありました。
この後もピカソの作風は変化し、それぞれ「〇〇の時代」と呼ばれていますが、すべてを解説してしまうと旅行記ではなくなってしまうので、ここでピカソの画家としての生い立ちがわかったところで一旦止めておきます。関心のある方はぜひ調べてみてください。
鳩の絵にインパクト大の肖像画
ここからは、特に私が惹かれた作品を紹介します。
こちらは「鳩」という作品です。鮮やかな色彩の中に描かれた鳩と、窓から見える海がとても美しく、穏やかな気持ちにさせてくれるので気に入りました。
この「鳩」は連作になっていて、他にもたくさんのバリエーションがありました。お土産屋さんでプリントされたポスターが売られていたので購入しました。家のトイレにでも飾ろうと思います。窓がないので(笑)
美術館の中には、この部屋のように、中世の豪華な邸宅の趣を残した部屋もあり、まるでお城の中にいるような雰囲気です。
こちらは、ピカソの友人であり秘書でもあったジャウメ・サバルテスの肖像です。伝統的な肖像画のレイアウトでありながら、目や鼻、口の位置が独特で、とんでもないことになっています。
ジャウメ・サバルテスは、この絵を見て大いに喜んだそうです。……というのを音声ガイドが言っていたと思います。(自信ない)
名画の再構築
そして、この美術館の最大の見どころが「ラス・メニーナス」の連作です。連作として描かれた作品の総数は全部で58点あります。ピカソは、この連作が散逸してしまうことを恐れ、ずっと手元に置いていたそうです。
「ラス・メニーナス」は、ピカソが1956年にスペインの画家ディエゴ・ベラスケスの名作を再解釈して描いた作品群です。
元となったベラスケスの「ラス・メニーナス」は1656年に描かれ、スペインの宮廷生活を背景にした王家の肖像画です。
私としては、この絵は今にも物語が始まりそうな、どこかミステリアスな雰囲気を感じさせる作品に見えます。この絵をピカソが大胆に再構築したのが、「ラス・メニーナス」の連作です。
ピカソの「ラス・メニーナス」では、色や形は全く異なっていますが、登場人物(犬を含む)の配置は元の作品と同じですね。
配色も作品によってさまざまで、こちらは赤い背景が目立ちます。
連作の中でもひときわ大きいのが、こちらの白と黒で表現された「ラス・メニーナス」です。
遠目で見ると落ち着いた印象の絵に見えますが、細かく見ていくと特に顔の描写が面白いです。やはりピカソ!という感じですね。
余談ですが、「ラス・メニーナス」が展示されていた部屋は、他の部屋と比べて賑やかでした。ピカソによって描かれた人物たちのインパクトの強さが、見た人々を元気にさせ、生き生きとした雰囲気を作り出していたのだと思います。
陶芸もやっている!(ヴァロリス期)
ピカソは晩年、陶芸作品も手がけました。この時期は「ヴァロリス期」と呼ばれています。ヴァロリスとは南フランスにある街で、ピカソはこの街の工房で制作を行いました。
こちらは、顔が描かれたお皿の作品です。どことなくMacのファインダーアイコンを思い出させます。
- 《男の頭部(Head of a Man)》1956年 75歳
- 《黒い牧神の頭部(Head of a Black Faun)》1956年 75歳
- 《顔(Face)》1956年 75歳
そして、こちらはフクロウの作品です。造形をそのまま活かしているのが可愛らしくて良いですね。
ピカソはかつてフクロウを飼っていたことがあり、その愛情がこの作品からも感じられます。
これにてピカソ美術館の話は終わりです。音声ガイドの説明がとてもわかりやすかったので、利用をおすすめします。
つづく…
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