サグラダ・ファミリアの次は…
お昼ご飯を食べてサン・パウ病院へ
サグラダ・ファミリアを見学した後は近くでお昼ご飯を食べ、向かうのは「サン・パウ病院(の跡地)」です。サグラダ・ファミリアから1キロ離れていないところにあり、こちらも世界遺産です。
行くまでの道、こちらも左右対称でカッコいい建物が。これもどうやら病院?のようです。
こんな建物がそこかしこにあるバルセロナは素敵な街ですね。
モデルニスモ建築、サン・パウ病院
病院の歴史を知る
「サン・パウ病院」は1930年に完成しました。2009年まで病院として使っていた病棟は今は見学エリアになっていて、新しい病棟に移転しています。
「サン・パウ病院」の正式名称は「サンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院」です。名前のサン・パウは銀行家のパウ・ジル氏から来ていて、パウ・ジル氏の遺言を元に遺産を使って建設されました。
しかし建設途中で遺産が尽きてしまったために、その後を引き継いだサンタ・クレウ病院の名前も入って「サンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院」(イはandという意味)と言います。
「サン・パウ病院」が移転したあとの部分は、現在は「サン・パウ モダニズム区域」という名前が付いています。(新しい病棟はこの区域の真後ろに建っています。)
モデルニスモ建築とは
さて、こちらの建築さんはモデルニスモの傑作と言われています。モデルニスモという言葉は聞き馴染みがあまり無いかもしれませんが、それもそのはず。19世紀末から20世紀初頭にかけてカタルーニャ地方、特にバルセロナで発展し、流行した芸術・建築スタイルだからです。
モデルニスモを理解するには、スペインの歴史を知ることが重要です。
イベリア半島(スペインが位置する半島)には、スペインと西側のポルトガルという2つの国が存在しますが、バルセロナがある地域はカタルーニャと呼ばれ、かつてはスペインと異なる独自の自治を持つ地域でした。(現在も独立を求める運動が続いています。)
18世紀のスペイン継承戦争の後、カタルーニャはマドリードを中心とするスペイン王国の支配下に組み込まれ、自治権を奪われたことで、一時的に衰退を経験します。しかし、19世紀後半にバルセロナが産業革命を迎え、大きく発展していきました。
この時代、バルセロナおよびカタルーニャの人々は、自分たちのアイデンティティ(スペインではなくカタルーニャとしてのもの)を強く意識し、カタルーニャ文化の復興を図りました。モデルニスモは、その一環として中世や伝統的な要素からインスピレーションを得つつ、新しい芸術表現を模索したスタイルです。
ガウディの先輩、リュイス・ドメネク・イ・モンタネールの作品
サン・パウ病院はガウディと同時代に活躍した建築家のリュイス・ドメネク・モンタネール(以降ドメネク)の作品です。ガウディより3つ年上で、モデルニスモ3大巨匠の1人に数えられます。
しかしガウディとドメネクは全く異なるタイプの建築家です。あまり裕福ではなかった家庭に生まれたガウディとは異なり、ドメネクは裕福な家庭で育ちました。そして25歳という若さでバルセロナ建築学校の教授に就任したほどの才能の持ち主です。また、ドメネクは政界にも進出しました。
敷地内を見学
サグラダ・ファミリアを見つめる正面
正面は左右対称の堂々たる姿。ゴシックやイスラムなどの要素が散りばめられています。(ムデハル様式と呼ばれる)
この病院があるエリアは、バルセロナが市街地を大規模に拡張した際(セルダによる都市計画)に作られた地域の一部です。そのため、市街地の中心に位置しながらも、病院は広大な敷地を有しています。
1902年(明治35年)に建設が始まりましたが、壮大な計画だったため、ドメネクの生存中には完成せず、息子のペレ・ドメネク・イ・ルーラが引き継ぎ、ドメネクの死後7年経った1930年(昭和5年)に完成しました。
多柱式ホール
見学は地下の「多柱式ホール」からスタート。正面の管理事務局の地下にあたります。ここは救急にも使われていた空間とのことです。
人が多すぎて大混雑していたサグラダ・ファミリアとは全く違ってこちらはまばらで、ゆったり見学できます。
地下トンネルでつながる
その先には、地下トンネルが続いています。この真っ白なトンネルは、壁や床をできる限り曲面で設計することで、埃がたまりにくく、衛生状態が保たれるように工夫されているとのことでした。(音声ガイドで確かそんな風に言っていた)
交差する地点では、正面衝突しにくいように工夫されています。サン・パウ病院は病棟が複数に分かれていますが、この地下トンネルでつながっています。おかげで医者や患者さんは外に出ずに病棟間の移動が可能です。
病棟間の通路として使われていたことがイメージできるよう、壁にはその様子が投影されています。
聖サルバドール分館
12棟ある分館のうち最初に見学するのはこちらの聖サルバドール分館です。すっかり綺麗にされた建物は病院の面影が全くありません。展示スペースになっています。
2階も展示スペースです。思わず声が出てしまう美しい空間です。本当に病院だったとは思えない…。
基本的にどの建物も使い道は異なれど、建物自体は同じような作りでした。↓右の写真の部分は談話室や面会などに使われていたそうです。
修復が終わっている建物は中は新築レベルに美しい状態になっています。(この意味は後で分かる)
傾斜地に広がる空間 これが本当に病院!?
聖サルバドール分館を出て庭園へ。病棟と病棟の間のこの気持ちの良い空間は、入院した患者さんの癒しの場でもあったそうです。敷地内の風通しをよくし、どの建物でも陽の光を感じられるという効果もあります。
正面入り口の管理事務分館の反対側のファサードです。シンボリックな建物ですね。
庭園の下には先ほどの地下トンネルがあります。所々に、このように採光用の天窓が取り付けられています。
12棟の分館を外から見てみましょう。装飾がこれでもかというほどてんこ盛りになっています。
12の分館のデザインはそれぞれ異なります。こちらはキラキラ金色の鱗のような外装のドームです。
ガーゴイルが付いているのは分かりますか…? ガーゴイルが付いている病院って…wって思ってしまいましたけど(笑)
こんな豪華な建物が病棟だけで12棟もあるわけです。建設費用が途中で底をついたのも仕方がない気がします。
かつての姿を思い浮かべて
カルマ別館は復元工事がされておらず、スケルトン状態(と言っていいのか?)となっています。当初は1フロアで使われていたものの、途中からは2フロアに分割して使われていたようです。(解説で確かそう言ってた)
なので、壁の色が上と下で違うのはそのせいかな?と思いました。真相は分からぬ。
敷地の1番奥には「修道女の宿舎」があります。こちらは中の見学は出来ないので外から眺めます。
最後は再び管理事務分館
奥まで見学したら入口に戻って、正面にある管理事務分館の中を見学します。窓の向こうにはサグラダ・ファミリアを臨みます。
こちらの建物も他の建物と同様に、いや、それ以上の装飾がなされています。こちらは礼拝堂の部屋。ムデハル様式を堪能しましょう。
部屋の中も見学可能です。左の扉の上にあるエンブレム、赤と黄色のストライプはカタルーニャの旗から引用していると思います。右の窓の上にあるエンブレムは、右半分はバルセロナの旗です。左半分は何でしょうね、病院?
廊下も床から下まで装飾がびっしり。
中央のロビーはピンクを基調とした大空間です。別の部屋にあったカタルーニャやバルセロナの旗に、サンパウ病院が関連する西暦、パウ・ジル氏の名前から「Gill」など色々なメッセージが散りばめられています。
最後はもう一度外に出て、お土産屋さんを経由して見学ルートは終わりです。
お次は現代的なビルに続く
散歩も兼ねて歩いてこのビルを目指す
次の目的地はこちら「トーレ・グロリエス(旧称トーレ・アグバール)」です。カフェを探しながらビルに向かって歩いていたら、ほとんどがお休み&行きたいと思った店も無く到着してしまいました。
つづく…
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