fukuhomu岬の先端の税関「プンタ・デッラ・ドガーナ」
税関が今は美術館に
「プンタ・デッラ・ドガーナ(Punta della Dogana)」は、「税関の岬」という意味です。ここはグランド・カナルとジュデッカ運河が交差する場所で、いわばヴェネツィア本島の海の玄関口と言える地点です。


ヴェネツィアはかつてヴェネツィア共和国として、東方貿易によってインドや中東などで仕入れた品々をヨーロッパ本土に輸出することで非常に栄えた都市国家でした。その歴史を支えたのが、このプンタ・デッラ・ドガーナです。


2024年 トーマス・シュッテ
しかし、ヴェネツィア共和国がオーストリアに併合されたり、港が本土側に移設されたりするなどの変遷を経て、現在はピノー財団(Fondazione Pinault)によって美術館として再生されています。



入り口でチケットを購入し、中へと進みます。壁からはねずみがお出迎え。こちらももちろんアート作品です。


可愛い女の子の声で、難しいことを話しています。
安藤忠雄ワールドに広がるトーマス・シュッテ
建物はもともと17世紀に建てられたものですが、現在は安藤忠雄によって修復と大幅な改造が加えられており、外から見るのとはまったく異なる印象の空間が広がっています。
展示は常設展示はなく、ピノー財団のコレクションを入れ替え方式で展示しています。このとき展示されていたのは、ドイツのトーマス・シュッテによる作品でした。


2018年 トーマス・シュッテ
この、どこかボテっとした不思議な雰囲気。異世界からやって来た巨人のような……でも顔をよく見ると何だか可愛くて……不思議な気持ちにさせられる彫刻たちです。
建物の入り口にいた「母なる大地」と対になる作品が、こちらの「父なる国家」です。“国家”という割には、バスローブを着ていて、なんだかリラックスモードに見えます。


2010年 トーマス・シュッテ
展示空間には、安藤忠雄のお家芸とも言える打ちっぱなしのコンクリートで構成された部屋などもあり、部屋ごとにさまざまな表情があるので、建物を見るだけでも非常に楽しめます。


1998〜2004年 トーマス・シュッテ





こちらの骸骨の頭に、鳥の骨のような細く、今にも倒れそうなアンバランスな生き物。その名も「効率の男たち」です。


2005年 トーマス・シュッテ
もしゲームに出てくるとしたら、大量に出てくるザコキャラだと思います。
展示の合間には、窓から素晴らしいヴェネツィアの景色を眺めることができます。


なかなか圧の強い展示が続くので、この眺めは癒やしです。館内の階段は、まさに安藤建築らしいかっこよさでした。


2021年 トーマス・シュッテ
先ほど館内から見た景色は、建物の外からも見ることができます。


あれ? さっきとほぼ同じ画角で同じ景色ですね。ドガーナ宮殿と鐘楼がよく見えるので、景色を見に来るだけでもいい場所です。



ヴェネツィアの街を歩く
ジェラートを求めて
聖堂とアートの後は、甘いもの。イタリアに来たけれど、まだ食べていないジェラートを食べに行きましょう。ヴェネツィアはとにかく細い道がどこまでも続きます。


と思ったら、いきなりきれいな運河に出たりと、一本道を進むだけでまったく違う景色になるのが本当に面白い街です。


そんな中で向かったお店が、こちらの「ジェラテリア・ロ・スクエロ(Gelateria lo Squero)」です。


スクエロ(Squero)は、ゴンドラの造船所のことだそうです。だからこのシェードが、ゴンドリエーレの服のようにボーダー模様になっているのでしょうかね。そう思うと、店名が入っている下の部分は海に見えてくる可愛いデザインですね。
店内のショーケースの中には、たくさんのジェラートが!


どれも美味しそうで目移りします……。ジェラートはスタンドに載せて渡してくれますが、撮影チャンスはこれが最後でした。


外に出て写真を撮ろうとしていたら、夏のヴェネツィアの灼熱の日差しで、みるみるうちにジェラートが溶けていき……大変なことになったので、どうか気をつけてください(笑)
あともう1つ行きたい…が!
ジェラートのあと、もう一つくらい観光できると思い、次の目的地へ。狙うのは「サン・ロッコ大信徒会館(Scuola Grande di San Rocco)」です。
にしても、どこまで歩いても続くヴェネツィアの路地、本当にすごいなと思います。


この迷路のような街こそがヴェネツィアなのだと力説してしまう、ヴェネツィアかぶれの出来上がりです。
街を歩いていると、あちこちに見かけるこちらは「フォンタネッラ(fontanella)」という水飲み場です。


上水が引かれているので、安心して飲める水とのことです。飲まなかったけど……!
そして目的地到着です。でもなんかおかしいぞ……と思ったら、ここ「サン・ロッコ同信会館」じゃない!!
そのすぐ近くの「サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂(Basilica di Santa Maria Gloriosa dei Frari)」だ!!
こちらの墓を支えている黒い肌の人の肉体表現がすごく、強く印象に残りました。


1659年 バルダッサーレ・ロンゲーナ
その後、「サン・ロッコ同信会館」に行ってみたら、すでに入場を締め切ってしまっていたので、翌日に訪れることを誓ってホテルに戻りました。





つづく…

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